文学のエコロジー 第3章

中世文学とパトロン


    パトロンといえばルネサンス期のメディチ家が思い浮かぶが、もちろんそれ以外にもパトロンは存在した。今回はパトロンがどう中世文学を支えていたのか、というお話。

 

    前章までの話からも分かるように、このころの文学とは写本が中心であって現代のような大量印刷、何万部! なんてことは起こりえない。むろん著作権も印税もない時代である。むしろ当時は特定の人間に宛てて詩を書いたり製本したりする方が自然で、その「特定の人間」がパトロンに当たるわけである。要は王様が子どもを授かった折にそれを祝う詩を書いてお金をもらったりした。こういうのを「状況の詩」と教科書は呼んでいる。

 

    つーわけで中世詩人というはお金持ちにすり寄らなければ生けていけない動物だったわけである。時には貧乏な自分をネタに、その悲惨さや滑稽さを誇張した詩で金品に預かる。(完全に太宰はこのころの詩人をインスパイアしてるな)

 

 そんな詩人の筆頭にあげられるは、やはりフランソワ・ヴィヨン。彼は詩の力を駆使して金品要求・恩赦嘆願・禁錮釈放、やりたい放題であった。が、この辺はまとめても教科書の引用にしかならないので省略。

 

 

 文字の力、とりわけ詩の力というが当時どれだけ強大だったかがよく分かる内容。今回ボブ・ディランが受賞したときも思ったけど、詩っていうのは歴史的にみると小説のだいぶ先輩にあたるんだよね。むしろ当時の音楽と言った方がいいんだろうな。バラードの形式とか、歌のAメロ、Bメロ、みたいな感じだし。