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心理臨床の基礎 第3章

ライフサイクル理論その2

人生後半の意義について


 前回はフロイトエリクソンのライフサイクル理論をやった。フロイトは幼少期を、エリクソンは青年期を重要視したわけであるが、今回は人生後半も意義深いとしたユングとレヴィンソンについて。

 ユングは人生の前半と後半を「午前」「午後」と呼び分けるので、ここでもそれに準じることとしよう。
 ユングは人生の午後になると人生の午前に無視してきた問題や義務の要求が顔を出してくるようになるという。
    午前の目的は『自然目的』(子孫を育んだり仕事したりとか)であるが、午後は『文化目的』(自己実現)である。青年期の問題はフロイトアドラーの考え方で説明・治療できることが多いが、40代以降の問題はユングの方法のみで治療可能なことが多いとかなんとか。

 

 ちなみに人生には午前と午後があるので、「人生の正午」もあるわけである。ユング曰く、それは35歳から40歳頃だという。まあでもこれは、ユング自身がその頃にフロイトと決別したことで心理的危機を経験したことも関わってるらしいね。フロイトにしてもエリクソンにしても、若干理論に私事が絡んでいるようである。

 

 レヴィンソンも人生後半を重視しているようだけど、心理的発達の要因に個人の人生における「内的価値」と、仕事や家族などの「外的価値」の両方を据えているところが微妙に違うかな?
  
 まとめてしまうと、幼少期、青年期、そして人生の正午近辺がライフサイクルにおける過渡期だと見なされてきたわけだが、高齢化社会の現代においてはここに「老年期」も過渡期として加えられるだろうとのこと。

 

 あとまあ、ユングがちょっと面白いことを言っていて、人生午後に差し掛かった人はどうも疑似青年ぶりを示すという。要はもう年なのにいつまでも若くいたいと願ってそういうファッションをしたり行為したりするということで、まあそれはよく見かけることだしユングも悪いとは言ってない(嘆かわしいとは言ってるみたい)だけど、これは東アフリカにある部族の長老が示す威厳だとか、同族成員からの尊敬の念だとかとは対照的なものだという。
 西欧文明は自我の確立が人生のピークだと考えがちだが、個性化が達成したあとの人格の中心は「自我」ではなく「自己」であるという(教科書だと単語レベルの差異しか書いてないからこれ以上のことはわかんない)
 要はいつまでも老いに囚われるなってことですよね。「人生の自然な終点は老いではなく叡智」ですって。