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ドイツ哲学の系譜 第1章

1 ドイツ哲学とは何か
 そもそも「ドイツ」とは何か。意外にも「ドイツ」とは不分明なものである。例えばドイツ哲学の代表者であるカントが生涯を送った街ケーニスベルクがこんにちはドイツでないこと等……
 「ドイツ王国」という言葉が公式に用いられるのはヴォルムスの協約(1122年)から。よってこの辺りにドイツ哲学の出自を求めることは一応できる。事実、エックハルト・タウラー・ゾイゼ・ベーメ、などの思想家の名前がこの時代に連なる(ドイツ神秘思想)。
 とはいえ、ドイツ神秘思想など19世紀の創作だという意見&神秘思想にドイツ精神の源流を求める傾向がナチズムに繋がった、等も考え合わせることも重要である。むしろこの時期のドイツは汎ヨーロッパ的な性格の方が強かった。

 

2 ドイツ哲学の形成
 ではどこにドイツ哲学の出自を求めれば良いのか?
 当時ヨーロッパで覇権を握る神聖ローマ帝国。そのドイツ王国の部分を指して「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」と呼ばれるようになるのが15世紀以降。ここにドイツ哲学の形成開始を見ることもできる。特に『哲学史要綱』ではこの時期のドイツをドイツではなく「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」という単位で採用している。
 というわけで、そこで「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」を待ち受けていた宗教改革と、そこに関係深いルターの思想からこの授業は始まる。

 ルターは宗教改革の過程で、それまでのカトリック教会に奉仕していたアリストテレス形而上学を排斥する。教会において自然的認識と神学を行き来させていた形而上学が不要とされたのである。
 とはいえ、その後のプロテスタント圏において形而上学がまったくの無縁であったわけではない。スアレス形而上学の対象を「実在的存在である限りでの存在」と主張し、創造後の「存在」のほうに形而上学の場面を転換している。これはつまり神学とは別の形而上学の胎動を含意する。
 そんなスアレスに親しんだのライプニッツ。彼の思想が順調に後生に伝わったわけでないというところから、ドイツ啓蒙主義の授業に繋がる。

 

3 ドイツ啓蒙主義
 啓蒙の観点から重要なのは、この時期にドイツ語が哲学のための言語として整備され始めたこと。ライプニッツを受け継いだ(と、一応見なされる)ヴォルフが哲学著作をドイツ語で刊行するこの頃、諸学問の用語がラテン語からドイツ語に移す試行錯誤が重ねられた。
 さしあたり重要なのは、啓蒙期ドイツ人にとって「哲学」は神学に対立するものと理解されたこと。故に青年カントが「哲学」の語を使うとき、この意味合いが含まれていることも否定できない。

 


 すげー慎重な授業。石橋を叩いて、叩いて、叩いて……ここは何処? ひたすらこの流れ。
 世界史の知識が完全に頭から抜けているので、神聖ローマ帝国とかカール大帝、とかの名前だけで頭痛が始まる。うう……高校の教科書引っ張り出すしかない……